あれから6か月・・・・
11月も中旬になりました。HIRAGA JUN CUPも無事終わりまして、そちらに関してはまた後程です。関係していただいた皆様ありがとうございました。
10月16日、43歳の誕生日を迎えました。今年は八ヶ岳トラバースロード&トレイルのイベントの開会式と閉会式で参加者のみなさんに祝ってもらうという、今までにない経験をさせていただきました。ありがとうございます。決して意図的にこの日にぶつけたわけではありません!(笑)2度も歌を歌ってもらってしまって…ほんとすみません。
そして昨年は、県境の山伏小屋の中でチーム山本のメンバーのみんなに歌を歌ってもらっちゃいました。
時はちょうど一年前、その時の出来事になります。
2021年10月14日夕方、韮崎わに塚のサクラの木の下。僕は久々に平賀淳カメラマンからインタビューを受けていた。先輩のカメラの前で話をするのはとても久しぶり。
山梨県境300マイル
山梨県境の線をなぞり、反時計回りにぐるっと一周するというプロジェクトを平賀カメラマンが全行程一人で追ってくれる(撮影)ということになった。
起点は北杜市小淵沢駅。南アルプス北部から南下し、南アルプスフロントトレイルへ合流、天子山地、富士山、道志、上野原、ハセツネコース、奥秩父、八ヶ岳と越え、また小淵沢駅に戻るルート。一周約480㎞。9日間を予定していた。
1日目
初めての距離、自分の足はどうなるのだろうか。体はどうか。小淵沢駅朝4:00。地元の仲間に見送られ、静かにスタートを切った。
気温は暑くもなく寒くもなく快適そのもの。2日間は天気がもちそうな予報。3日目以降は不安定。 スタートしてカメラを向けられながらアスファルトをゆっくり走りだした。その途端、スタート前まで少しだけ僕を包んでいた不安は、心地よい汗と共に流れ出し、純粋に楽しむことに集中していくことになる。 先輩は小淵沢駅を撮影して、そのまま黒戸尾根から甲斐駒山頂へ向かった。どっちが速いか、競争みたいなところがあった。
コースは前半に標高3000m前後の日本を代表する甲斐駒ヶ岳、仙丈ケ岳、間ノ岳などを控えている。ここをトラブルなく通過するのが成功のカギとなる。普段よく歩いている山だけど、テンションが上がった。体がよく動く。一座目の鋸岳では最後の山となる八ヶ岳を背に、あそこにもどるんだねと望月将悟さん、菊嶋啓さんと、3人で笑いながら話す。
甲斐駒ヶ岳で先輩のドローンが飛んできた。標高差2200mの日本三大急登の黒戸尾根を登ってきた。平賀カメラマンに加えて武部カメラマンもいてくれた。そしてパンの差し入れをもった藤原さん。しょっぱなから嬉しいお迎えだ。
山頂を後にし、標高2000mの北沢峠が、サポートクルーとの一度目のコンタクトポイントだ。クルーは長野県長谷村にぐるっと回りこみ、バス停に車をデポ、山岳バスで行けるとこまで行き、残りは歩く。北沢峠には教え子の安藤くんもいた。僕たちは彼らからいつも元気をもらってまた出発する。安藤も小仙丈まで一緒に行く。仙丈ケ岳には藤巻カメラマンが夕陽と共に待っている。最高の一枚を撮るためにはどんな山でも登っちゃう男だ。
日が変わる頃、間ノ岳にいた。奈良田への分岐のあたりで風をよけてあるものを全て着て仮眠。この区間は標高高く夜は結構厳しい区間だ。さらにその先でも仮眠をし、仲間の待つ、転付峠へ。
2日目
静岡県境の転付峠には地元山岳会の亀田理事長、今年トランスジャパンアルプスレースを山梨県勢として初めて完走した井出さんをはじめとする白鳳会の有志がエイドステーションを設営してくれていた。登山口から歩いて6時間ほどの奥地だ。井出さんが予定からかなり遅れている僕たちを迎えに来てくれた。明るい顔に元気をもらった。2時間くらい来てくれたのか。転付につくと、そこにはおにぎり、うどん、さかなご飯、温かいお茶など用意されていた。まるで山の中のレストラン。最高のおもてなしだった。
本当はもっと早く着いて、ここで長い休憩を取って寝たりしたかったのだが、手前で力尽き仮眠をとってからの到着だったのでここでは食料を補給して仮眠は取らずに出発した。平賀カメラマンも前日の昼には甲斐駒にいたのに、その翌朝未明にはすでに転付峠にいるという神業。ヘリでも使っているんじゃないか?!少し一緒に先輩と走り、彼は引き返し、次のポイントに向かった。この日は県境屈指の崩落地帯である、青薙崩れを明るいうちに通過しなければならない。崩壊が進んだり、雨が降ったり、日が落ちたりしてここが通れなければこの県境一周はつながらない。ここでは安全確保のためのロープを張った。無事通過できたが、それでもかなりスリリングだった。
ちょうど日も暮れヘッドランプを点けてこの日クルーの待つ山伏小屋へ急ぐ。今度は望月さんの後輩の谷君が雨の中迎えに来てくれる。下見はしていたが踏み跡が薄いのでとても心強かった。
山伏小屋は静岡市から車で2時間ほど山奥で、道もかなりくねくね。さらに駐車場からまたたくさんの荷物を背負って30分ほど歩く。コンタクトポイントの移動だけでもかなりの時間がかかる。長野へ行ったり静岡へ行ったり・・・ここでは10月16日深夜、サポートのみんなと先輩で誕生日会をしてくれた。しかも地元韮崎のうさぎやのお赤飯。(うさぎやは今は閉店しています)こんな誕生日忘れることはないだろう。
3日目
静岡県境を南下し続けている。いよいよ雨が本格的に降ってくる。HOUDINIのORANGE JACKETをまとう。冷たい雨だが気分は上場!この先の富士山は雪だろうか。通ってきた南アルプスも雪だろうか。そんなことをたまに想像しながらひたすら県境を南下。八紘嶺からは南アルプスフロントトレイルに合流。相変わらず人里離れた奥地だ。しかし誰が手入れしたのかわからないきれいなトレイル。思わず、足も軽くなった。しかしそれもつかの間の休息で、今度は激しい下り坂でみんなで転ぶ。泥だらけだ。南部町まできた。山梨の最南端の山、高ドッキョウ。ここでは藤巻カメラマンと平賀カメラマンがいた。先輩はいつものワイルドなスタイルだ。 藤巻君は塩気のきいたスナックを僕たちにくれた。めちゃくちゃうまくて生き返った。彼はいつも僕たちが欲しているものを与えてくれる。
最南端のコンタクトポイント、南部。ここまであっという間だった。まだまだ元気。予定より遅くなって、0時近くに南部町役場万沢支所に到着。小淵沢を出発して初めて山を降りたが風呂に入ることはない。ヒルの心配もしていたが、血を吸われていない。標高80m。無事にここまで来れたことに一安心した。
4日目
4時に出発。ここからは北上していく。まだ静岡県境だ。この日のルートは若干わかりにくい。県境をつなごうとすると時々荒れ地に入ってしまう。低い姿勢になり藪を進む。激しい急坂をよじ登る。人があまり入っていないエリアはこんな道なき道がたまにある。 レンジャー部隊出身の武末さんも合流。 3人で富士の麓を目指す。武末さんにとってはこういう道は日常なんじゃないかな。この日のルートはなんといっても天子山地を元気よく越えられるか。ハードな登りが続いた長者が岳では静岡と山梨の仲間が差し入れをしてくた。藤原さんは2回目!心の奥底から、ありがとうの言葉が出る。天候にも恵まれ無事に天子山地を下れそうだ。雲の隙間から夕陽に照らされた富士の赤褐色の大斜面が姿を現す。
雪は着いていないようだ。天子山地の主峰毛無山は高校時代に先輩たちとみんなで訪れた場所。その時はサッカーボールを持っていき、山頂でボール回ししたり、リフティングを皆でした記憶がある。26年たった今、全く別の形で山頂にいる。でも気持ちは昔のままだ。ワクワクドキドキ、楽しいことないかな~ってね。この日は霧が立ち込めたり、いい感じの雰囲気で撮影会を楽しんだ。
5日目
昔からの仲間である、ヤブ担当青木くん、加藤カルロスくんを含む、山梨元気軍団の4名が久々に揃う。
富士の裾野を朝3時に出発。天気はよくない。スタートしてすぐに霧、そして雨へと変わる。更に5合目に着く頃には完全に雪になっていた。何も言わずに先輩も待機していた。
上を見上げると、真っ白。完全な冬山へと姿を変えた富士山へは、もはや山頂登頂という選択肢はなかった。
脛ほどの雪に覆われた「お中道」を進み、籠坂峠へ抜ける。その頃には雨も上がり、クルーとコンタクトしてシューズを履き替えたり、テーピングを巻きなおしたりして目的地の神の川キャンプ場を目指した。
夜になるとまた雨が降ってきた。霧にも包まれた。最後尾を歩いていたパートナーの菊嶋の「うわぁぁぁぁー」という声が深夜の森に響きまくる。普段聞かない声だったので瞬時に慌てて振り返ると、足が谷に落ちていた。木にしがみついてなんとか危機は逃れたがヒヤッとした場面だった。
無事だったから言えるけど、きくりんもあんなに大きな声を出すんだ、と思った。0時近くにボロボロで到着。川で足を洗った。
6日目
この施設にはシャワールームがあり、一度ここでリフレッシュした。5日ぶりにさっぱりした。昨夜のカルロス君との話の中でどうしても食べたくなった、「塩サバ」を雑炊と共にいただく。この頃になると、食事がかなりの楽しみの一つとなってきていた。何とも言えないおいしさ。ここで地元上野原の牧野消防士が加わり、今度は神奈川、東京との境を北上する。
この区間はアスファルトが多くて足にきた。途中、東京との境の上野原の山の中からはるか遠くに真っ白な富士を見た。昨日あの中腹を走っていたんだ、人間てすごいねぇと、パートナーの菊嶋に声をかけると彼は何も言わずに目を潤ませていた。 彼は昨年、甲府盆地一周のチャレンジを一緒に始めたのだが、途中体調トラブルにより一時離脱していたため、今回の県境一周は何としてもフルコース達成させたいという、強い思いを持って参加している。ここまで前半脚が痛くなったものの、リズムをとり戻し快調に進んできている。
ハセツネコースも走った。やっぱりキクリンが前に出てきた。ミスターハセツネだ。この時、軍刀利神社手前の階段での平賀淳カメラマンのダッシュはとても普通ではなく、今でも僕たち3人の目に焼き付いている。
夜になり、この日もアップダウンが激しい闇の低山を進む。何度も転ぶ。今朝きれいになったばかりなのにもう泥だらけ。
アシスタントポイントの深夜の丹波山村営駐車場手前で、ムササビが出迎えてくれた。
7日目
いよいよ奥秩父埼玉県境をゴール方向へ。終盤戦の雰囲気が出てきている。まだまだ遠いけれど、どこか家の近くに帰ってきた感じがする。この日は道がまっすぐの小山田隆二店長とニューハレの大型新人近江君が合流。淳カメラマンも未明から一緒にスタート。相変わらず無言でカメラを回している。この日は朝から今までとは少し違った。日の出を前にした七つ石山の手前をいいペースで登っていたとき、なぜか涙が出てきた。体も追い込まれていたのか、充実していたのか、こんな貴重な経験を最高のメンバーとやらせてもらっているという幸福感。その直後、沈む月と昇ってくる太陽を同時に見ることができた。奇跡的なシチュエーションにみんなで大騒ぎ。
実はこの前半区間初めてのルートなんです。この日は長かった。じっくり楽しんだ。まず、東京埼玉境の雲取山では東京の街を見ながら撮影会。次に人気のない飛龍山では、教え子2名が9時間にも及ぶ待ち伏せでおでんの差し入れ。これには参った。さすがに大粒の涙が。何がいつ起こってもよいようにと常にカメラを回し続ける淳君にばっちり抑えられましたね~。
次は真っ暗な山小屋でお~いという声がする。3日目に雨の中道案内してくれた谷君が避難小屋で薪ストーブを焚いて、温かいそうめんを作ってくれていた。
韮崎高校の後輩の岡村も合流して、最後は何度も倒れて仮眠しながらも、アシスタントポイントの大弛峠へ登った。充実の一日。これ以上ない一日。出し切りました。この大弛峠は標高2200m、街からも2時間も車を走らせなければならない秘境。サポートクルーはここまで完璧なサポートを展開してくれている。
8日目
この日は大弛峠は氷点下だった。この日は行程に余裕があったため、明るくなってから出発した。とにかく寒い。金峰山に到着。五丈岩にお参りし、小川山へ向かう途中で、今度は会社の仲間が待っていてくれて、ここでも6日遅れの誕生日会をしてくれた。
総勢8名ほどになりグランドツアー一行は、県境で一番の藪が深いエリアへ。ここは50年前に地元の山小屋のおじさんが高校生の頃に開拓した道で、それ以来手入れがされないまま今日に至っているらしい。苔むしていて雰囲気はとても素晴らしい。
信州峠では多くの方がまた応援に来てくれていた。
また夜になるが雨が激しくなる。横尾山では雪に変わり、霧も立ち込め胸ほどの笹地にルートファインディングに苦労する。ずぶぬれとはこのことだ。
この日最後の飯盛山では、強風の濃い霧の中、会社の仲間である達也さんが一人ちいさなテントを立てて、お湯を沸かして待っていてくれた。その名も「飯盛茶屋」。とても小さいテントだったが、みんなで入って、体を温めた。暖かかった。まさかこんなところにいるとは、、、、感謝してもしきれないです。
さらにその下り道では、前職の同僚がヘッドランプを点けて、仲間5人で迎えにきてくれた。清里駅前では、初日小淵沢から3日間一緒に走った望月さんが再び励ましに来てくれた。
みんなが、最後頑張れと、サポートしてくれている。目的地の清里美し森駐車場へは9時頃に到着し、カレーをいただいた。清里と言えばカレーだ。冷えた体にしみた。赤岳には雪がついてしまったため、翌朝のルートについてミーティングを行って寝た。
9日目
順調に行けば昼過ぎにはゴールの小淵沢駅に到着できるはず。しかし予定していた赤岳ルートが前日の雪のため真っ白に。
多方面から情報収集したが、山頂付近では結構積もっているとのことだった。赤岳の下りはガレ場が多くシーズン初めの積雪で事故も起こりやすい状況で、県境をあきらめて、次の権現岳から県境に復帰することにした。人数が増えれば事故の確率も上がる。多くの人に支えられてここまできたので最後まで皆で進みたいと考えた。標高を上げている途中、初日の南アルプスが見えてきた。真っ白だった。前方に見える山々を見てあそこから来たんだねと菊嶋と話す。 なんともおかしな会話だが事実だ。
権現岳ではまたまた多くの仲間が迎えてくれた。最後は20名ほど。まさにグランドツアー。
雪をかぶった八ヶ岳を後にして、小淵沢目指して下山開始。そして最後の最後には僕に山を走ることを教えてくれた長野県の師匠の名塚達夫さんご夫妻まで登場してしまった。
終わっちゃうなと心で思いながら最後の下りを一歩一歩大事に降りた。
距離475㎞、累積獲得標高33719m、8日間11時間22分
過去何度も登った八ヶ岳は、初めて登る山のようだった。日常が非日常になった瞬間だ。 これからの山行がまた楽しみ!
そして、この旅をたった一人で撮影してくれた平賀淳さんのスピリッツは忘れません。9日間とんでもない動きを目の当たりにして、相変わらずの情熱を実感しました。とても強いと思ったし、まだまだ追い越せない存在であると感じてしまった。
いつの日か、この時の映像が世の中に出ればいいなぁと思います。
yamamoto
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