もう半年前のことですが、、、、

2019年8月12日、今回の遠征はHOUDINI部長の舘さん(舘下智さん)、カメラマン世界のショウフジマキ(藤巻翔さん)と僕の3人という超小回り部隊で行われました。翔君は 相変わらずあちこち飛び回っており現地集合。舘さんと日本から出かけました。羽田からパリを経由してトゥールーズに飛びます。トータルで15時間ほどです。8月11日のヤマケンカップという地元のローカルレースを終えて翌日の出発だったのでちょっと忙しかったですね。今後この路線は東京との直行便を計画しているとのことなのでピレネー山脈だいぶ近くなります。

会場はオザという田舎の町。空港でレンタカーを借りて1時間半ほどのドライブで到着できます。ピレネー山脈のちょうど中央部分くらいの麓です。友人のナウエルに久しぶりに会えるということでワクワクしていましたが、彼はいったいどこにいるんだろう・・・そんな不安もありました。ついにオザに到着。町の中心部に着くや否や、いきなりナウエル発見!あっさり見つかりました。それもそのはず、町にレストランは一軒しかなくて、みんなここでだいたいランチをするようです。その名も「Bar des 3000」僕たちも滞在中ここにはだいぶお世話になることになります。

そしていきなり、地元メディアのインタビュー。ナウエルも僕が参加することを心待ちにしていてくれたらしく、インターネットTVと新聞で紹介してもらいました。

日本でも経験の無い、一面記事に載せてもらいました。
©sho fujimaki

久々の再会にお互い感謝して、僕たちはランチをいただきました。世界に友達を作ること、これも僕の海外遠征の目的の一つです。そして、お互いの地元に行く。だから今度はナウエルに日本にも来てもらいたいと思っています。友達ができると、その地をより深く知りたいと思うようになります。観光旅行では経験することのできないことや出会いがたくさんありますのでやめられませんね~。

宿舎に到着すると今度は見覚えのなさそうな少し年老いた男性から「ヤマモト?」と話しかけられます。彼はほとんどフランス語しか話さないので言葉はあまり理解できなかったけど、「Grand raid des pyrenees」と言っている。根気よく聞く僕たちに片言の英語で話てくれて、どうやら2012年に参加して優勝したピレネーのレースの時のMCをしていたらしい。さっそく翔君に頼んで当時の写真を引っ張り出してもらって、スタート前やゴール、表彰式の写真を見せてもらうと、、、なんと写っていました。8年も7年も前になるが今とあまり変わっていない・・・名前はパトリック。覚えていてくれてとてもうれしかったです。こういうのがとてもうれしい瞬間です。

2012 Grand raid des Pyrenees開会式。黒いフリースのMCパトリックさん。日本人で唯一の参加者だった僕をステージで紹介してくれた。
©sho fujimaki

同じ宿には他にも計測担当の方や、またハイキングツアーの方々も泊っていて、食事の時間はとても賑やかで楽しいひと時でした。やたら飲め飲めと勧められました。あと、踊りましょうって。

スタートまで丸々3日間の現地滞在時間をとってあり、その間には下見や受付を行いました。

コースのアップダウンを確認中
©sho fujimaki
下見1日目
Soulcemのエイドの先の登り口と降り口を確認。
下見2日目
核心部分であるモンカルムの入り口を確認。当日は暗闇の中を通過する予定。ピレネーを知り尽くしている野間さんにも一緒に来てもらいました。

順調に準備は進みました。朝晩は自炊でしたが、昼はbar3000。僕はベジタリアンメニュー。日本を出た瞬間に僕はベジタリアンになります。僕の場合、肉を食べると胃腸が疲れてしまうのです。だから超長距離レースの前は胃腸の疲労を軽減させることに集中します。レース中、胃腸トラブルで食べれなくなると大変ですからね。体動かなくなります。

しかしここでついにトラブル発生!

サポートの舘さんが何かにあたり、(おそらく肉かなと思います)食欲不振に。下見を離脱して完全休養に入りました。

僕は黙々と準備作業。舘さんは黙々と回復作業。
©sho fujimaki
朝陽とともに、一日ぶりに舘さん見事復活!
©sho fujimaki

そしていよいよレースの朝。日本からも何名か参加者がいます。その中でも同級生の別府君。福岡県の別府君です。(右から二人目)彼とはプライベートでも一緒に走ったりする仲で、今回このレースに参加することはお互い知りませんでした。エントリーリストで彼が僕を見つけたらしく、連絡くれました。とても楽しみです。別府君もとても強いランナーです。そして写真中央の野間さん。彼女を説明するととても長くなります。多分レースの話までたどり着かないと思いますので、簡単に説明しますと、すごすぎる方で、ピレネーのエリアで一番名の知れた日本人トレイルランナーであることは間違いないと思います。僕らとはある意味次元が違いすぎる。憧れです。オザでも「ヨーコ、ヨーコ」と言って現地の方々からとっても慕われています。今回は別府君のペーサーでの出場です。

さぁ、やっとスタート。僕はレースの話をするとついついレースに入るまでが長くなってしまうのです。すみません。遠征はすべてが刺激です・・・・

朝7時オザの中心街を一斉にスタートします。
©sho fujimaki

僕のコーディネイトはHOUDINIダイナミックティーにライトショーツ。これらは汗をかいても雨が降っても標高が上がるとすぐ乾くし、体を冷やさずに進めます。そして何より魔法の着心地がたまりませんね。ストレスなくレースに集中できます。24時間を超えるレースで今まで着替えたことはありません。ゼッケンは9001。ナウエルが1番を用意してくれました。ちなみにこのレースは他に42㎞、25㎞、13㎞、バーティカル㎞(KV)のカテゴリーもあり、そちらは今回で30回目。とても歴史のあるレースで参加者もとても多いです。ピカピカは昨年からの新設カテゴリーです。

ピレネーで1979年コンビ結成
©sho fujimaki

序盤は黄色のウエアの別府君と進みます。海外で一緒に走るのは初めてで新鮮でした。話をしながら楽しみながらです。超長距離レースはこの会話が重要だと思います。それはリラックス、呼吸、ゆとり。すべての面でプラスに働いてくれます。ナウエルはこのコースはヤマモトなら25時間だと言っていました。昨年は嵐で途中キャンセルになったようなのでまだ完走者はいない中での予想タイムなので正直わからないけど、僕もそのくらいではゴールしたいと思って+3時間くらいで食料を準備していました。どうなるのかな。まぁこんな未知のレースもいいですね。

住宅街を抜けるとひろ~い尾根に出て、ひたすらまっすぐPique d’Endron(2472m)のピークまで登ります。(オザは標高730m)

ここも別府君と話をしながら進みます。みんな速い。でも先は長いと思い、焦らずにしゃべりながらでした。ピークを越え、次なる目的地へ歩みを進めます。高所トレーニングができていなかったという別府君は、徐々に離れて、僕もここのあたりからは一人旅に。途中真っ青なきれいな池が印象的で、何度も叫びました。そして、その後の岩々ゴツゴツのルートがさらにインパクトあり脳裏に焼き付いています。歩くのも難しく、すごかったです。

岩の上にあるのがFourcat という小屋のエイドステーション(標高2445m) かっこよかった。
©sho fujimaki
落ちても気持ちよさそうなブルー。カメラマンどこから撮ったのか!? きれいな池でした。
©sho fujimaki
とにかく岩場なんです。笑いと叫びの繰り返し。
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Pic du Malcaras(2865m)からのこの岩の下り標高差1000mちょっと続く。
膝が笑っちゃうくらいおかしくなります。でも楽しすぎる。
©sho fujimaki

登りも下りもひたすら岩場。一度激しく足捻りましたが、ニューハレのエックステープに助けられました。なかったら間違いなくグキっといっていたでしょう。緩んだかもしれないと思い、一度途中の岩に腰掛け、スペアのエックステープを巻きなおして再出発。レース中にテーピング巻きなおした経験は今回が初めてです。

そして舘さんが待つSoulcem(1630m)に到着。距離は32㎞。駐車する車はだいぶ混雑します。実質サポートに会えるのはここだけなのですこのコース。そしてこのあとさらにピレネーの奥地に35㎞の距離をアンドラのほうをぐるっと回ってまたここに戻ってくるのです。次、舘さんに会えるのはここで何時になるのだろうか?

soulcemのエイド付近。岩の陰に大きなエイドステーションがあります。
©sho fujimaki
特に規制もなく誰でも入れるエイドのテント。
©sho fujimaki

ここまでかなり急登、岩場に足をやられましたが27時間ペースくらいに落ち着いています。やはり時間かかっています!25時間では着かないとこの時点で判断できました。2016年に走ったアンドラウルトラトレイルのコースを一部フォローしながら、当時は日本人のツアー客がたくさんいて応援してもらったなぁなんて思いながら、シーンとした誰もいないそこを通って黙々と走ったり、歩いたり、ずっと一人旅。でも、とにかく急だ!

アンドラを含むこの区間は、距離35㎞で累積獲得標高約4000m、ピークは6つ。時間は‥‥かなりかかります。ただ景色は最高で、ピレネー山脈の分厚さ、大きさをかなり体験できます。本当にスケールが大きい!最高峰Pic de la Soucarrane(2902m)では世界のフジマキが待っていてくれました。ここまで重い機材を持ってくるのもかなり大変かと思います。時間は夜九時に差し掛かろうとしてます。僕は彼がここにいることを知っていたので何とかして明るいうちに行かないと写真が撮れないと焦り、ここばかりはペースを上げていい写真も収めてもらいたかったし、がんばっちゃったわけです。そしてギリギリのところでピークへ。孤独さを表現している、いい写真を撮ってもらいました。僕のお気に入りでもあります。でもこの時は、写真が撮れていたかわからなかったので、「アウト?(写らない)セーフ?(写った)」って、興奮気味に翔君に質問していましたね。彼は「セーフです。ありがとうございました!」と笑いながら言っていました。

孤独。でも本当はギリギリボーイ(笑)
©sho fujimaki

赤いバンダナが目立っています。これは2019年5月に出場した、スポンサーでもある宮崎県のユニバーサルフィールドさんが主宰する、阿蘇ラウンドトレイル120㎞(阿蘇山の外輪山を一周するトレイルランニングレース)の参加賞。日本の国旗のようでピレネーの人たち喜ぶかなと思って選びました。地元の方々が喜んでくれるのが僕のエネルギーに変わります。

ここまでコースのほとんどは、すごく急なガレやザレの登りで下りもガレ場、ザレ場、足元の見えない草、しかも急、ということでとてもやりがいあるコースで、2度目のSoulcemにつく頃にはすでに真っ暗、夜の11時近く。スタートして15時間を超えてきました。距離は67㎞。徐々に体へのダメージが・・・・

2度目のsoulcemのエイドステーション。無事に戻ってこれました。
©sho fujimaki

さて、いよいよここからは核心部分の夜中のパートに突入します。舘さんや翔くん、そして、現地の方々の温かい声援のおかげで、ここまではかなりハードでしたが割と笑ってこれました。コースはタフすぎて笑うしかない!さてこの先は??

つづく・・・

yamamoto