昨年は大きな変化のあった一年でした。やみくもに進んでいる僕を支えていただいた皆様、ありがとうございました。また今年もチャレンジをしていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

ブログがだいぶ更新されていませんが、今回は昨年参加したレースについて報告していきます。

まず一番近かった「2019レユニオン遠征」の報告です。レユニオン島は滝の島。写真の滝のように長いですので何回かに分けてお読みください。

この遠征は実は2014年以来2度目の遠征です。前回走った時、ゴールした瞬間に、「また来る!」って思ったレース。たくさんやり残したことがあるんですね~、レユニオン。とても悔しかった2014年。とにかくいろいろなことが難しくてゴールにたどり着くまで本当に大変だった。ゴールした時悔し涙を流したのはこの時だけだったと思います。そんなレユニオン、5年ぶりの遠征はどうだったのでしょうか・・・のんびりお読みください。

©doryu takebe

今回は運がいいぞ~

DAY1 10月11日(金)

 16:00韮崎の自宅出発。雨。竜王駅でトレーナーの越中(えっちゅう)さん、昭和町のローソンでカメラマンの努龍(どりゅう)くんと合流。越中さんは2009年の海外初遠征となったモンブランのときから一緒に帯同してもらっている(2013年は欠席)長野県富士見町で治療院を営むトレーナーさん。簡単に説明すると、2006年、怪我で走るのを止めようとしていた時に先輩の紹介で出会って、体を診てもらうようになり、「走れるだけで幸せ」ということを教えてくれた人。越中さんなしでは今の僕はいない。そして努龍君は地元山梨県の体力抜群、足で稼ぐ若手カメラマン。5年ほど前から一緒に山に行き、スキーをとってもらったり、日常的に一緒に遊んだりトレーニングしたりする人。今回の遠征は、帰国の時間帯の都合で、僕の車でのスタートとなった。50年ぶりの最強台風19号の影響で早め早めに動くことを心掛けた。なぜなら9月のコルシカ遠征の時の台風15号の教訓を生かして。あの時も鎌倉から羽田まで7時間かかったのである。車はこの3連休、羽田のパーキングには停めることができないから、横浜鶴見で仕事終わりの弟に迎えに来てもらい、平塚の妹の自宅に置いてもらうことにした。家族総出のサポート体制で始まった。19時半に羽田について、弟に車を無事に預ける。フライトは23:30なのでかなり余裕がある。ボスであるベスパの通生(みちう)さんと通訳兼食事係の奥様の直子さんと20:30に合流。通生さんは2011年からチーム山本としてスポンサーをまとめてくれて、多くの人はベスパ齋藤、と呼んでいる。直子さんは鎌倉でおしゃれなケーキ屋「アービット」を営んでいる。あとはフルマークスのHOUDINI担当の舘(たち)さん。実は前回2014年のレユニオンは舘さんも完走しているので今回は特に心強かった。舘さんはすでにパリ経由で飛んでいる。今回の遠征は6名。台風も来る前だし、みんなで、運がいいねと言っていた。機械でチェックインを済ませて、荷物預けのラインに並ぶ。空港は土曜日のフライトの人たちが一日早く飛ぼうと、チケットを振り替えているようで、かなりごった返していた。まさにカオス状態。このカオスが少しずつおかしな方向に向かっていた。30分経っても10mしか進まない。1時間、2時間と時間が経っていく。いつまでたっても荷物を預けることができない。そりゃそうだ。チケットを持っていない人たちが、同じ列に並んでいるんだから。おかしいと思いながらも、まだ時間があったから何とかなるだろうと、焦りもしないで、並んでいた。あと少しで荷物預けというところで、ANAの係員が、クアラルンプール行きの方はこちらへ~、と言いながら僕たちを違う列に連れていく。そこにはスペシャルカウンターと書いてあり、やった、やっと乗れる、と思った。しかし一向に列が動かない。1時間たっても動かない。フライトまで50分を切った。これはもしかしてまずい?と直子さんが、係員に尋ねる。そうしたら信じられない答えが。「乗れない可能性もあります。」みんなで、え??それはないでしょ!って。だって、僕たちはチケットを持っているし、あと少しで預けられるのに、こっちに連れてこられたんだし・・おかしいでしょ!しかもこの列、ダイレクトにカウンターに行っていない。また中をぐるっと回されて、かなり時間かかりそうだし。納得がいかないことだらけで、周りにいるお客さんたちも不満爆発。なんとか全員が荷物を預けてからの出発を約束してもらい、落ち着いて待つことに。結局荷物預けは1時近く。飛行機は2時間近く遅延して出発した。機内では眠すぎてコンタクトを外すのを忘れるくらい、爆睡。

まさかの・・・

クアラルンプールにてミーティング

DAY2  10月12日(土)

7時間半ほどで経由地であるクアラルンプールへ到着した。飛行機を降りて、荷物を取りに行こうとすると、空港の係員が僕たちの名前が書いてあるインフォメーションボードを持って立っている。どうしたのかなと思いついていくと、なんと、羽田から荷物が届いていない。つまり、荷物は羽田にあるということだった。さらに、台風の影響でこの日と翌日は欠航。荷物をもらえるのは通常三日後ということだった。もう何も言葉が出ない。まさかの出来事だった。よくあることらしいが僕にとっては人生初体験。事務所に行き、荷物の手続きを行う。レユニオンで受け取ることになったが、15日朝が濃厚とのこと。レースは17日。もし13日夕方にフライトがあれば14日の朝に受け取ることが可能だけど可能性はかなり低いと説明された。もちろんほとんどが大きなバッグに入っているわけだから、これは本当に大変なことになった。着替えすらない。なぜか生米は手荷物。妻が選んでくれた食材もない。コンタクトレンズも。絶対14日の朝に届けてね、と言って、事務所を出た。クアラルンプールでの滞在費として150クアラルンプールをもらったけど、そんなのどっちでもいい。バッグ欲しい。とりあえず腹ごしらえで、そこで対応してくれた係員にお勧めを聞く。地元料理を聞いた。ナシゴレンではなくナシオレ。さっそく注文したけど、辛すぎた。レース前でもあるし辛いソースは全く食べずに、別の辛くないといわれているヌードルを注文した。いざ食べてみると、、カップ麺だった。残念なお知らせです。こちらもあまり食べた気にならず。とりあえず外の空気を吸いに空港の外に出てみる。蒸し暑い。汗が。やばい、3日間着替えがないんだ、と思い、すぐに空港へリターン。汗かいてしまった。ここでのトランジットは5時間。子供たちのお土産のキーホルダーを探してみる。舘さんからメッセージが届いており、どうもパリでディレイしているようだ。全体的にみんな刺激的な出だし。確か2012年ピレネーに行った時も宿が見つからずに半日つぶした。その時よりはるかに厳しい状態だけど、このトラブルは何かの前兆か。いい方向に行くことを願うだけだ。次はエアモーリシャス。これはシンガポール経由でモーリシャスへ。少しずつ人間だけレユニオンに近づいている。

いよいよ

夜中のローラン・ギャロス空港

レユニオンローランギャロスに到着。5年前と何も変わっていないように見える。先発の舘さんが出口で待ってくれていた。空気は意外と冷たい。ここまでいろいろあったけど、とりあえず体は元気にレユニオンに入れてよかったなと思うことにした。空港から車で1時間半。今回のアパートは山の上だ。しかもかなり上だ。道もくねくね。最後はサトウキビ畑の間をぐいぐい登っていく。広々とした良いアパートで、快適に過ごせそう。深夜1時だが隣の家はレユニオンサウンドの爆音が流れている。とりあえず、シャワーを浴びるが、お湯がチョロチョロしか出なくて、寒い。着替えもないのでそのままの格好で1時半寝る。

準備開始

DAY3 10月13日(日)

6時過ぎに鶏の鳴き声で目が覚める。いい朝だ。荷物がないおかげで部屋が実にきれいだ。クアランプールからメールが来ており、荷物は15日の朝に到着とのこと。12,13日とすべての便が欠航になったようだ。荷物はこちらが提案した通り、羽田―パリ―レユニオンと最速で動かすとのことだった。考えなければならないことは15日までのコンタクトレンズ。奇跡的に、手荷物に三枚の一日使い捨てレンズが入っていた。僕は一枚しか入れた記憶ないけど、三枚入っていた。ラッキー。15日までちょうど3枚で足りるんだけど、このレンズというものはレースで使うために用意したレンズ。(レース当日にはどうしても使いたいので、1枚は必ず残そう。予備はもともとの使い捨てでいいか。このレンズはシリコンで出来ているため、とても着け心地がよくレースでもいいんじゃないかと、今回は不参加のカメラの藤巻君に教えてもらったレンズだ。なのでとりあえず、今日と明日捨てずに使ってみようと考えた。朝起きて、管理人みたいな人が来てくれ、とりあえず近くのスーパーUに連れて行ってもらうことに。最速の道を案内してくれるようだけど、どれも似ていてよくわからなそう。スーパーUまで約20分。近くない。しかもくねくね。日曜だけど午前だけやっているようなので幸運だった。今日は以前から連絡を取り合っていた、ファブリスと会って、レースの情報を仕入れる重要な日だった。メッセンジャーでやり取りしていたけど、便利な世の中になったなぁと。昔では考えられない。会うのに指定された場所はetang sale beach。そこでランニング仲間とパーティしているからおいでとのことだった。そこにはアントワーヌもいたり、15人くらいのメンバーがランチをしていた。アントワーヌは2009年モンブランで一緒に走った仲間でそれ以降会えば必ず話をする仲だ。富士山のレースにも来たことがある。前回会ったのは、2014年レユニオン。地図を片手に情報収集。エイドの周り方や、前回と違うところ、それからファブリスが支援できる場所、撮影場所のアドバイスまでたくさんのアドバイスをもらった。彼は地元レユニオン大学の体育の先生で、見た目はかなり怖いけどとてもいい人。常に全力というオーラがあり、すごく親しみやすい。1時間ほど話をして、僕たちはcilaosへ。そこは65㎞地点で今日はそこで少し体を動かしてみた。Tシャツとショーツは舘さんに借りた。靴下は奇跡的に一つ予備があった。靴は少し大きいけど通生さんに借りた。足首固定のエックステープはさすがにない。捻挫しないように集中。シラオスへの道はかなりカーブ、そして細いトンネルが2つあるんだけど、すれ違いができないため時に同時に入ってしまって、後ろも続くと、渋滞が起こる。ここでは1時間ほどコースを下見した。スントのコースナビゲーションも確認したかったのでちょうどよかった。汗がかなり出た。着替えがないから、パンツが濡れると大変。下見を終え、くねくねの先にあるアパートへ戻る。夕食は鮭を焼いてもらった。奇跡的にお米が手荷物に入っていたため鍋で炊く。直子さんのおいしい夕食タイム。お米があってよかった。部屋に戻ると電気がつかない。いろいろあります。越中さんにマッサージしてもらい21:30就寝。この日は舘さんに薄いズボンを借りた。快適。

水色の眼鏡、ファブリス先生

DAY4 10月14日(月)

5:40鶏の鳴き声で起床する。今日はマラブーという50㎞の地点の下見。特に前回迷ったということはないけど、ここを通るのは夜なので明るいときも見てみたいということでここにした。とりあえず早く出かけて、早く戻る、そして早く寝る、というスタイルなので、いつも昼はバタバタしている。マラブは肌寒かった。そしてトレイルがぐちゃぐちゃだった。通生さんに借りている靴を汚さないようにと気を付けたけどダメだった。足首も気を付けたけど軽くひねってしまった。雨も降りだした。当日はどんな走りをしているのかな、なんて想像しながら後にした。途中スーパーUに寄り、食材を買い足し帰宅。洗濯をするために管理人に使い方の説明を聞くけど、どうしても4時間コースになってしまう。洗濯機を一度まわすと4時間。長い。今まで着ていたTシャツを洗う。みんなも洗い始めた。明日はいよいよ荷物が届く日だ。21:00就寝

コンタクトレンズがなくてメガネのカメラマン努龍

ついに!!えっ?

DAY5 10月15日(火)

5:50鶏の元気な鳴き声で起床をする。一日の始まり。8:25のUU〈エアオーストラル〉で到着予定。9:05にディレイしているという情報があり、ロビーで待つ。9時を回り、いよいよ荷物が手に入る。その先のことを考えていた。荷物が来たら、すぐコースチェック。しかし、9時半になっても荷物が来ない。係員に聞く。まだ来ていないようです。10時になった。とっくにその便で来ているお客さんは荷物を受け取り、空港を後にしている。これはおかしい。嫌な予感がしてきた。係員に又聞く。もう荷物はないよ。一番恐れていたことが起こってしまった。実は10%くらい、そんなこともあるかもしれないと思いながら、空港に向かっていた。その10%が的中してしまった。この時、僕はもう荷物は届かないものだと諦めた。すぐに事前に連絡を取り合っていたサンドニのサロモンショップに行き、道具をそろえた。もし荷物がレース前に届けば、返品していいという条件にしてもらった。しかもお金のデポジットもなしで。なんと理解のあるお店。ジミーという店員さんにいろいろとよくしてもらった。一式揃え、コース後半部分のエイドなどを回った。結構時間がかかってしまい、宿に戻ったのは午後6時半くらいだった。毎日の生活は午後6時にはご飯を食べ、その後、越中さんに体をケアしてもらい9時には寝るという計画だったので、遅く帰宅することは僕にとってストレスなのだ。でもこればかりは仕方なくて、荷物どこ行っちゃったのかなぁ、って感じだった。夕食は直子さんにスーパー最速で作ってもらい、9時半くらいにはなんとか就寝できた。みんなに感謝。

右の男がジミー、左がルドビック

40回目の誕生日はなかなか激しいぞ

DAY6 10月16日(水)

5:40いつもの鶏の鳴き声で目覚める。今年は割とよく眠れている。相変わらず荷物がないため、実に部屋がきれいだ。今日で40歳。とんでもないプレゼントをもらっている気がする。今回のハプニングを乗り越えなさい、と言われているようだ。いよいよ明日にレースを控えて、今日はサンピエールで受付。受付に行く前に宿の周りを40分ほど新しい靴とインナーパンツをはいてランニングしてみた。上半身は、服がないため裸。なかなか調子はいい感じだった。実は、道具を一式そろえたけど、まだ不完全な状態だった。それはニューハレの足首捻挫予防のxテープ。芥田さんにすぐに連絡し、レユニオンに来ている選手でだれか予備を持っていないか調べてもらった。すると、東京からお越しの、ミキティ、という方が予備を持っているとのことで、受付で会うことになった。神様仏様ミキティ様。助かりました。そして、奇跡的にも6枚もいただくことができた。受付をしたのだけど、僕の袋がなくて、しばらく待たされた。すると、記者会見があったようで、そちらに置いてあった。事前に来たメールを見落としていたため、その記者会見に招待されていたにもかかわらず、すっ飛ばしてしまった。しかし、まぁもともとそれに参加している時間はなかったのだけれど。あと不安なものはジェル。昨日ジミーの店でキープしたジェルを宿で味見したけど、かなり苦手な味で、メーカーも分からないけど、これじゃあ途中で飲めなくなりそうだと思い、別の種類も買っておこうということで、サンピエールのサロモンショップで購入。店の方がとてもいい方で、いろいろとサービスしてくれた。宿に戻りひたすら準備。夕方はファブリス先生との約束があった。マファテ内のエイドで学生がサポートしてくれるということだったので、ジェルなどのサポート品を預けに行った。そこには有力選手がたくさん来ていて、みんなでしばらく歓談して、僕は早く寝たかったので、一足お先に帰宅。その中には2016年にアンドラで10時間ほど一緒に走った、シャーリーもいた。

ファブリスを頼る選手たち
2016年アンドラ以来のシャーリー

久しぶりの再会に気持ちが高まった。僕は最初気付かなかったけど、彼が気付いてくれた。あの時は途中で彼の水が切れて、1時間以上を僕が持っていた、たった300mlの水を二人でシェアしながら山を降りてきたり、暗闇の中ヘッドランプの電池交換をしている僕の手元を彼が照らしてくれたりしながら二人で一緒に走っていた。110㎞くらいでお別れして、その後、僕は準優勝。彼はリタイア。サロモンのサポートが終わり、今はコンプレスポーツにサポートしてもらっているようだ。なんだか前より強くなっているような気がした。宿に戻ると、みんながニコニコしてる。なんだろうと思っていると、ハッピーバースデーのセレモニー。そして、重大発表が。明日の朝、どうやら荷物が空港に届くらしい。そんなことを告げてもらった。しかし、道具も揃っていたので、もうそれで行く覚悟ができていたので、大はしゃぎという感じではなく、せっかく荷物を何とかしてくれた通生さんたちに申し訳ないな、と思った。でももう荷物はいらない、というモードになっていたので気持ちもそこまで高まらず、落ち着いて9時には寝た。

©doryu takebe

スタート9時間45分前の出来事

DAY7 10月17日(木)

5:40鶏。いよいよレース当日。といってもスタートは22:00。まだまだ時間はある。通生さんと直子さんは、朝一で空港に行ってくれていた。8:25着のUUで荷物が届くとのことだ。どうやら今回は本当に届くのかもしれない。しかし、覚悟は決めていたので、バッグを見るまでは、全神経をレユニオンで揃えたもので行くことに集中させて、いろんなシュミレーションをする時間に充てていた。そして12:15運命の時。通生さんたちが帰ってきた。6日ぶりの荷物との再会。

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気持ちを一気に切り替えた。バッグをすぐに開け、準備を開始。ほっとしている暇はなかった。夜に備えて早く昼寝をしたかったのでできるだけ早く準備をした。しかし隣のうちの住民が12:00頃から爆音でレユニオンミュージックを流している。やばいと思いながらも、14:00くらいには静かになってくれた。シエスタの時間に流していただけだろうか。それにしてもレユニオンは爆音文化だ。14:30昼寝。寝つきが悪く越中さんに足裏をマッサージしてもらう。知らぬ間に17:45くらいまで寝てしまった。5年前は何も考えずにゴール付近に宿をとったため、スタート会場まで行くのに時間がかかり、16:00くらいから動いていた記憶がある。22:00のスタートに向けて、今回はスタートから30分のところだったので、20:00すぎまでアパートでゆっくりできた。前回より余裕がある。会場に着くと5年前と同様のレユニオンミュージックのライブで会場は熱気に包まれていた。今年はエリートブースというのに誘導してもらって、スタート位置を前のほうに確保してもらった。

基本的に全員がスタート、ゴールで着用するシャツ。右後ろがライブ会場。
一度入ったら出られない。
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ずっと来たかった。5年越しの想い。

22:00。2500人のランナーが標高0メートルの海岸沿いの道路を一斉にスタートした。5年前に来た時と同じ、音楽、観衆、花火、熱気・・何も変わっていない。高ぶる気持ちを抑えきれずに叫ぶ。すごい速いペースでみんな走っている。僕もそのペースで走る。やはり来てよかった、と思いながら、息を切らしながら進む。沿道のお客さんがなかなか途切れない。サトウキビ畑に入っていく。ずっと走れる道でぐいぐい標高を上げていく。なだらかな道では前のほうにいたけど、坂になってくると、どんどん越されていく。自分の中では一生懸命走っているのにどんどん越されていく。たぶん50人くらいに追い越されたと思う。あまり体が動いていない。早く山道に入ってもらいたい、と思いながら進んでいくけど、一向に山道は現れない。結局一つ目のエイドまでは林道と車道のみだった。

最前列
©doryu takebe
この雰囲気がたまらない。
©doryu takebe

いきなり、やってしまった。

DAY8 10月18日(金)

14.8㎞DOMAINE VIDOT 63位 23:29

自分ではマイペースよりも少し速いペースで進んでいるつもりだったが、周りが速かったのか。だいぶ遅れて第一エイド通過。その後徐々に標高が上がってきて、シングルトラックも出てきた。しかし相変わらず、林道とロードがたくさんあるコースだ。5年前もこんな感じだったっけ?と思いながら、ぜえぜえはぁはぁしながら走る。右膝はあまり力が入らない感じで、いまいちだった。次のエイドの手前で、ちょっとしたハプニングが起こった。集団道迷いだった。約150人くらいが1か所に集中して、あーでもない、こーでもないと言っている。すごい人だった。結局マーキングの着け間違いで、正しいルートが見つかった。スントにルートを落としていただけに、このミスは悔しかった。しかし明らかに、間違ったほうにマーキングしてあったなぁ。やはりレユニオン難し。

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レユニオンてこんなに寒い?!

25kmNOTRE DAME DE LA PAIX 27位 0:57

努龍君がいた。みんないた。エイドではいつもはたくさんしゃべるのに今回はあまりしゃべらなかった。レースにかなり集中していたのか、なんとなく自然とそうなった。大会指定のユニフォームから自分のものへ着替えて、HOUDINI カムアローンジャケットを手に取り、短時間で出発。通生さんたちに会えるのは、明日の朝だ。ここから寒くなってくる。どんどん寒くなって、ジャケットを着ないと耐えられないくらい寒い。

39km AIRE DU NEZ DE BOEUF 41位 2:55

ここのエイドはサポートは誰もいなかった。下見で来たけど、昼は絶景。登りのペースがいまいち上がらない。膝もそんなに調子がよくない。しかし、次のMARE A BOUEに向けて、溶岩のテクニカルな緩い下りが長く続き、そこでリズムが出てきた。水が流れるようにすいすい下る。前にいる選手がすごく遅く見える。あっという間にエイド付近に来てしまった。ここは5年前に大雨で、道が川になっていたところだ。サポート隊と会えずに、通り過ぎたことも印象に残っている。しかし今回は舘さんがしっかりとサポートしてくれている。水たまりは凍っていた。芝も凍っていた。レユニオンてこんなに寒いのか。

50km MARE A BOUE 22位 4:00

予定タイムより15分遅い。ここではフランスのルドビックと一緒になり、話をしながら一時間ほど一緒に進んだ。寒いと暑いをお互いの国の言葉で教え合った。昨年もレユニオンに来ているが、けがをしてリタイアしている。ルドは2010年のハセツネチャンピオン、2016年のUTMBのチャンピオンだ。すごい選手。僕に前を走らせてくれた。しかしシラオスへの下りになる手前ですすっと前に出て、そのまま見ることができなかった。走り方が独特で、早歩きというか、少し走り気味の速足みたいに、ランニングではない進み方をしていた。そしていよいよ本格的な山岳区間に入ってきた。シラオスというカルデラの谷底にできた集落へ向けて、1000m一気に下る。カルデラの淵から一気に谷底。あっという間だが、下から見上げるとその地形のすごさに驚く。右膝に力があまり入らないが、先日木島平の水口さんと練習した足さばきでなるべく負担をかけずに下ってみた。しかし、スピードが上がらず、ここでも外国人選手にだいぶ置いて行かれた。以前は下りでいい感じになるパターンだったが、今は下りはゆっくり、平地と登りでペースを上げるという流れになっている。下りは、自然とセーブしてしまっている感がある。

無事、朝が来た

66.3km CILAOS 20位 6:45 

朝が来た。鶏の声は聞こえないが、小鳥がちゅんちゅん鳴いている。世界共通の朝の声。今回のレースは本当に時間の流れが速い。体はまだ余裕。レユニオンのレースのサポートはエイドの中ではできなくて、その前後で行うことになっている。だから僕はエイドは申し訳ないけど、タイムチェックだけしてもらって、そのままスルー。ちょっと寂しいけど、食べれるものもバナナしかないし、ありがとう、またね~、っていう感じだ。通生さんたちと久しぶりに会ったものの、ここでもいろんなことを話しようと思っていたけど、エイドをすぐに出てしまう。体は余裕だったけど、気持ちはなんとなく焦っていたのか。自分でもよくわからないけど、集中はしていた。ここからはまたカルデラの淵を目指して一気に登り上げる。この淵には努龍君がカメラを構えていることを知っていたので、会えるのが楽しみだった。未明は氷が張るくらい寒かったのに、日が出てきて徐々に暑くなってくる。この登りでは地元レユニオンの選手と一緒に走った。やはりとても人気がある。すごくいい人で、サングラスをしていたから目は見えなかったけど、顔の形、声からして、俳優の柳沢慎吾さんにそっくりだった。山岳レースに参加しているフランス語をしゃべる柳沢慎吾。苦しいはずの場所だったが楽しかった。彼とは峠の手前で別れた。努龍君がいた。今回撮影ポイントを悩みに悩んだ結果、この峠で待つことにした。そしてここから歩いてMAIDOまで行きさらにそこでも撮影という計画だった。努龍君の足を生かす作戦だ。行動時間約10時間。機材もあるし、選手以上に大変だと思った。

努龍君を見つけて喜ぶ山本 ©doryu takebe

79km MARLA  13位 9:13

シラオスが終わり、いよいよマファテ(死の谷)に入っていく。左手にいきなり大きな壁が迎えてくれる。

正面がmafateの壁 ©doryu takebe

今日の夕方にはあそこを登るのかと思ったら、ぞっとしたが、一歩に集中。そろそろ12時間だが、眠気も疲労も全くない。マルラではファブリス先生の生徒が、レース前日に預けた荷物を持って、待っていてくれた。マファテの中は歩きかヘリでないと動けないところで、移動にとても時間がかかるため、通常サポートをつけることが厳しいエリアである。そこでファブリスは学生たちを、マファテ内のエイドに行かせて、選手のサポートをボランティアで行っているということだった。今回マルラでは僕は十分なハニースティンガーがあったので、預けておいたあまりおいしくないジェルは使わずに、彼にあげた。マファテでそうやってサポートしてもらえるととても安心。次のMERLESまでの区間は5年前には逆から来たところで、カメラの平賀淳と一緒に撮影してもらいながら走ったのを思い出していた。とても気持ちのいい場所でお弁当を持って家族で歩いたらどんなに楽しいことだろうか。登りが調子よく進めているため、とても気持ちよかった。

マルラ ©doryu takebe

86.5km PLAINE DES MERLES 13位 10:28

ほぼ予定通りに到着。左足の親指付近の違和感が増してきていた。靴擦れだ。次に通生さんたちに会える120km地点で靴と靴下をすべて交換しようと考えていた。この区間、日なたは暑いけど、日陰は寒い。12時間が過ぎたけど、そんな感覚は全くない。ここからは下り。細かいアップダウン入れながら、標高差1200mの下り。コースサインが急激に少なくなる。少し不安になったが、スント9で確認しながら走った。次のエイドでは舘さんがいてくれる予定だったので、早く会いたくてがんばった。標高がどんどん下がり暑くなる。そしてこの辺りで、スタート直後からずっと気になっていた左足の親指が限界になり、次のエイドでは靴下を脱いで、絆創膏をしてもらおうと思っていた。チクチクするのでたぶん靴擦れかなと推測していた。

やっぱり暑い、レユニオン

100km GRAND PLACE 11位 12:32

かなり暑い。30度はある。そして親指が痛い。補給のあとに医務室へ行き、絆創膏をもらおうと靴下を脱ぐと、なんとそこには!バラのとげのようなものがまっすぐ親指に刺さっているではないか。まるでお灸のよう。舘さんに、こいつでした~と言って、スポッっと抜く。その瞬間すごくすっきり。しばらくはその傷口が痛かったが、そのうち違和感もなく走りに集中できた。しかし、暑い。マファテの恐ろしさを体感しながら、一歩ずつ進んだ。途中ほかの選手を抜いたり、抜かれたりしたが、みんな暑さにやられているようだった。一番谷底の河原では地元の若いグループが水浴びをしていた。すごくうらやましかったが、僕は頭だけ濡らしてスルー。僕が日本人ということで、「トーキョー・フジヤマ・サイコー」とか知っている日本語を連発してくれた。僕も「レユニオン最高」とフランス語で言い返した。ここからはまた急な登りだ。

108km ROCHE PLATE 12位 14:32

MARLAから直接ROCHEに向かっていたカメラマン努龍君が、元気に迎えてくれた。僕も足のとげが抜けたことで、暑さにはやられていたが、気持ちは晴れていた。ここも集落がある。あとで聞いたことだが、シラオスは車で入ることのできるカルデラなので、生活が想像できる。けどすごくくねくねで大変だけど。このマファテのカルデラの中にもいくつかの集落があり、そこでもやっぱり人々が生活している。この地で生活している人たちは基本的には自給自足。たまにヘリで物資が届く。町へ出るには歩きでカルデラの外へ出なくてはならないとのことで、ROCHEからは4時間ほど、GRAND PLACEからは7時間近くかかる。我々コンビニが数分圏内にある生活からすると、すごい生活。ここの人々、職業「生きること」。みんなすごく明るくて元気に応援してくれている。幸福とは、何なのか、考えさせられる瞬間がとんでもない田舎を走るたびに訪れる。さぁ、ここから次のエイドのマイドまで1100mの登り。距離は12㎞。前回はここで強烈な睡魔に襲われ、フラフラで淵に登り上げた。今回はここまで睡魔にやられていなくて、いまだに元気だ。努龍君に撮影してもらいながら登る。地元のハイカーたちも応援してくれている。元気の良い夫婦?カップルにガンバガンバという言葉を教えて、リクエストした。そしたら一緒に登りながら「ガンバガンバ」と声をかけ続けてくれた。ありがたい。いいペースで登っている。脚は疲れてきた。ハムストリングがうまく使えなくなり、登りなのに大腿四頭筋が痙攣しそうになる。前傾しすぎている証拠だ。気持ちが突っ込みすぎて前のめりになった。1時間45分ほど登り続けて、気分的にはあっという間だったけど、体には結構なダメージを追ってマファテ脱出。淵にトレーナーの越中さんと直子さん、そして観客が応援してくれていた。そこから10分ほどくだり、通生さんがいるエイドに無事たどり着いた。

©doryu takebe

少しずつ疲労が・・・

120km MAIDO 14位 16:24

大腿四頭筋が疲れた。しかしカルデラはこれで終わり。ここから先はまた走れるトレイルが続く。標高2200mから159mまで10kmのダウンヒル。脚の状態がよければ快調だろうけど、膝に違和感があり、ゆっくり下る。この下りで久しぶりに、シラオスで一緒に走っていたレユニオンの柳沢慎吾選手が後ろからすごい勢いで下ってくる。一瞬だけ、「サバ?」とあいさつして先に行ってもらう。約2時間下り続け、河原のエイドであるサバンナにつく。ちょうどランプをつけるかどうかの明るさだった。

131km ILET SAVANNAH 13位 18:34

ここは大きなエイドだった。事前に見ておいたのでイメージできていた。ここには通生さんたちはいない。ヘッドランプを出し、川を渡り再び山の中へ。この区間思い出した。長い登りはないものの、岩ゴロゴロの超テクニカルな細かいアップダウン。とても難しい区間。登りは簡単だけど、下りがとても時間かかる場所。ある下りの区間で、コース脇の木と思って体を預けたら、ただの背の高い葉っぱで、その瞬間前のめりになり、死ぬ思いをした。あれは危険だった。そして前回はこの辺りから幻覚や幻聴、道迷いと、かなり苦労した区間。今年はそんなことはなさそう。まだ何も見ていない。前回、迷って行ったり来たりした場所も明確に思いだした。ここだぁ、と思いながらスント9で確認しながらスイスイ進めて気持ち良かった。けれど、エイドまであと1時間くらいのところで、内臓が気持ち悪くなってきた。ジェルが入らない。水も怪しい。オエっと、なんか出るかやってみたけど何も出ない。水を少し飲んでみた。すぐオエっとなる。これはまさか、食べれないってやつかと思いながら、ペースを落として省エネで走った。ジェルは見たくもない状態になってしまった。空腹感もないままなんとか次のエイドにたどり着いた。

エイドでは何も口に入らなかった  ©doryu takebe

またもや。。。

146km LA POSSESSION 12位 21:19

エイドではベスパも飲みたくなくて、とりあえずポケットに入れて持っていくことにした。みんなに心配をかけてしまった。ここから盛り上げていきたいところだったが、逆に盛り下げてしまった。しばらくアスファルトを走り、登山口まで走る。ちょっと眠くなってきた。相変わらず何も食べたくない。ここからは恐怖の石畳みのジグザグ、そしてひたすら同じ景色のアップダウン。けれど距離は短いので気合で何とかなるだろうと思っていた。前回はここで最強の睡魔がきて、雨の降る石畳みの上で10分ほど寝てしまった。そして今回、やはり最強の睡魔がやってきた。腹も気持ち悪かったので潔く寝ることに。次のランナーが来るまで寝よう。そう決めてまたもや石畳みで寝てしまった。約10分くらいして下のほうにヘッドランプの灯りがみえた。目が開き、すぐ前に進む。すぐに後続選手に追いつかれ、一緒に行くが置いて行かれる。また一人になり、また眠くなってしまった。やばい、もう寝たくない、なんとかしなくては。考えた結果、胸の前についているフラスコに満タンに入っている水を顔にかけながら歩いた。この区間は短いし、1リットルも飲まないだろうから、ふんだんに頭や、顔や、首筋にかけた。そしてジェルを食べてみると、なんと入っていくではないか。寝て内臓が休まったのかもしれない。ベスパも飲める。そうこうしているうちにこの難しい区間を切り抜けた。

156km GRAND CHALOUPE 12位 23:08

©doryu takebe

多分使われていないであろう線路上にあるエイドステーション。エイドではDiego Pazosも休憩していた。みんな疲れが出ている。サポートしてもらえる最後のエイド。次はフィニッシュになる。ここからもまたトレイルとアスファルトで約600m標高を上げていく。左足のリスフラン関節辺りが痛くなってきていた。アスファルトを走りすぎるといつも痛くなるところ。5年前30分近く迷った場所も一瞬で通り過ぎた。ここでは地元レユニオンの選手とまた一緒になり(柳沢慎吾ではない)、進むが、その方がとても頑張る方で、僕が追いつくと、またスピードを上げて前に行く。それを繰り返しながら、最後の山を登り切った。あとは5kmのダウンヒル。僕はここで出し切ろうと思っていた。どんなに足が痛くても速く走れる自信があった。予定通り、ぶっ飛ばす。脚の痛みはない。かなりの速度で走れた。汗が一気に噴き出してきた。そんな矢先、ヘッドランプのバッテリーがなくなる。真っ暗な中でササっと交換してまた飛ばす。サンドニの街の灯りが徐々に近づいてくる。ああ、終わってしまうのかと、前回と全く同じ気持ちになりスタジアムを目指した。この区間で二人の選手をパスして一気にスタジアムまで走った。最終コーナーで舘さんが迎えてくれた。ありがとう。前回一人しかいなかった観客席には二人いた。一人増えた。

フィニッシュ

DAY9 10月19日(土)

170km ST DENIS LE REDUTE 10位 1:29

ゴールした瞬間はとても満足で、前回できなかったことをしっかりできたのかなぁと思った。涙は出なかった。しっかりゴールまで走れてただうれしかった。しばらくゴールエリアであとからゴールする選手と写真を撮ったり楽しんだ。そして汗だくでみんなと抱き合い僕のレユニオンは終わった。結果は10位。27時間29分だった。

念願のフィニッシュ  ©doryu takebe
ありがとう!

そのままシャワーを浴びて、車へ。みんな眠くて帰るのが大変だったが運転を代わりながらアパートに何とかたどり着いた。本当にレースが終わった感じだった。おなかがすいていて、いつも終わった後はなぜかジャンクフードを食べたくなるのだけど、今回はチキンラーメンをいただいた。最高にうまくて、とても幸せな気分だった。4時半就寝。

朝は鶏の鳴き声では起きれないくらい初めて寝坊した。けれど体が痛くて目が覚めて時計を見たらまだ6時半。かなり寝たように感じたけどたったの2時間だった。レースの後はだいたいいつもこうなる。眠いけど痛くて寝ていられない。リビングで日記を書くことにした。みんなが起き始めて、直子さんの作ってくれる朝食をいただいた。越中さんに足を見てもらいながら、いろんな話をした。越中さんの想いも聞くことができてとてもいい時間だった。その後は足が痛すぎてアパートでゴロゴロしていた。こんなにゴロゴロするのも一年のうちでこの日くらいだろう、と思うほど、ゴロゴロしていた。

不思議なレユニオン

DAY10 10月20日(日)

4:30鶏ではなくお隣の爆音レユニオンサウンドで起床した。週末はすごい盛り上がりだ。結局静かになったのは5:10だった。日記などを書いたり、レース直前に届いた日本食などを食べながら過ごした。そして17:00からのセレモニーに参加するためにサンドニへ。会場は、ちょうど最終ランナーを迎えるために、最高潮の盛り上がりになっていた。トップランナーがゴールするときより盛り上がっていると思う。最終ランナーを優勝した選手が迎える。やっぱりレユニオン最高だ。この場にいれるだけでうれしい。そんな気持ちにさせてくれる瞬間だった。

最終ランナーがもうすぐでフィニッシュ!

このころから、また来たいなぁ、なんて思い始めていた。いよいよセレモニー。僕は年代別で2位だったので、初めて表彰台に上ることができる。MCがちょこっと今までの戦歴なんかも紹介してくれて、登壇。気持ちよかった。日本人男子としてはレユニオンの表彰台に上がるのは初めてのことで、みんな祝福してくれた。

©doryu takebe

ファブリス先生からも“BRAVO”って祝福してもらった。年代別3位の選手は最後のエイドから一緒に追いつき、離されながら登ったレユニオンの選手。台から降りると、ビール飲もうということになったけど、僕は飲まないので、オレンジジュースで乾杯した。レースが終わったのに、僕がビールを飲まないのを不思議がっていたが、アルコール飲めないの一点張りで通した。

自分の気持ち

そして総合の表彰。優勝は、なんとあのシャーリーだった。僕はその結果をゴールした後、アパートについてから知ったのだけれど、とてもびっくりした。しかも23時間台。かなり速いタイムだった。セレモニーが始まる前に、シャーリーと話をする機会があり、「どんな感覚だったの?」って聞いたら、「知らないうちに誰も後ろにいなくなっていた、信じられない」という感じだった。シャーリーはメジャーレースではタイトルを取っている選手ではなくて、上位には入ってくるけど、そこまでではなかっただけに、今回はすごいレースだったと思う。おめでとう、と祝福をした。最後はお決まりの花火大会。レユニオンのテーマソングに合わせて、花火が上がる。涙が出てきた。僕は冷静に、なんで泣いてんだろう、って考えた。うれし涙かな?と最初は思ったが、違った。5年前このセレモニーで見た花火大会の涙と同じだった。やはりもっと上を目指したい、そんな悔し涙だった。僕の2度目のレユニオンは花火大会とともに終わった。自分の正直な気持ちむき出しになってしまうレユニオン。こんな経験をさせてもらえた環境に感謝です。これからもがんばります。みなさん、おすすめです。よ~く準備して一度行ってみてください。    

©doryu takebe

山本健一