倉岡が最初に穂高岳に登ったのは高校時代だった。山に目覚めたのはもっと前で、小学5年生のときに書店でクライミングを表紙にした本に釘付けになり、それ以来夢中になってクライマーの本を貪り読んだという。そして中学3年になると早くも小遣いを貯めてロープを買い、自己流でクライミングを始めていた
初めて穂高に登るのはそれから1、2年後の話だ。そのときの出発地点は穂高連峰から90kmほど北に位置する白馬岳。そこから後立山連峰、裏銀座ルートと南に向かって縦走を続けて槍ヶ岳から穂高連峰に至り、最後は西穂山荘から上高地に降りるという長大なルートを一人でテントを背負って歩き通したという。
「北アルプスを縦走してみたいと思ったんです。あのときは運動靴にニッカボッカを穿いて、食料はインスタントラーメン20個だけって感じでしたね」
倉岡少年が歩いたのは北アルプスを南北に貫く主稜線だった。通常はぞれぞれの地域ごとに定着した人気縦走ルートを2泊か3泊かけて歩くのが一般的で、北から南まで一気に歩き通す登山者は、控えめにいってもそう多くはない。倉岡の記憶では「一週間程度かかった」と言うが、それは相当早いペースで、コースタイムからすれば10日以上かかってもおかしくない。そして当時はもちろん、今もなお、登山経験の乏しい高校生のソロ登山の記録としては出色といっていい。
さらにいえば、槍ヶ岳から穂高岳に至る「槍穂縦走」は途中いくつかの難所を越す上級者向きルートで、その先、奥穂高岳からジャンダルムを越えて西穂高岳までの稜線は、登山地図に破線で表示されるバリエーションルートで、ガイド山行では必ずといっていいほどロープが出される危険個所満載の尖った岩稜だ。
「単純に、北アルプスのメインといわれる稜線を歩いてみたいと考えたんですよ。それに高校生でお金もなかったから、せっかくなら一回でなるべくたくさん歩けたほうがいいじゃないですか。高い電車賃を払って遠くまで行くんですからね。まあ、お得感といいますか、鉄道運賃とのコスパを追求した結果でもあります」
当然ながら、このときの倉岡の計画は初めての北アルプス登山としては度が過ぎるものだ。ある意味では、理にかなったリーズナブルな選択ともいえるが、よい子は決してマネをしてはいけません、というレベルの話。当時、登山の良識派が聞いたら眉をひそめたに違いないし、今のSNS時代なら炎上は免れないだろう。
だが、この若き日の北アルプス縦走は、倉岡の個性的な登山を象徴するエピソードにも思える。言い換えるなら、フレキシブルな発想と積極的な行動力による自由で個性的な登山スタイル。旧来の登山界にありがちな定石やちっぽけな固定観念に縛られることなく、自由な思考で合理的な登山を展開する。それが倉岡の登山であり、60歳になった現在もなお、世界最高峰エベレストでひょうひょうとガイドを続けられる理由も、おそらくそこにある。
最近は、いつでもどこでもこればかり着ています。春から秋、3,000mくらいの日本の夏山でも行けるかな。クライミングに行ったときでもウォーミングアップでこれを着ますしね。なにしろ抜けがいいのが一番です。暑かったり寒かったりすると、脱ぎ着の回数が増えるじゃないですか。でも、これは対応温度幅が広いので、けっこう着たまま行けちゃう感じです。抜けがいい割に表面の薄手のナイロン生地が効いていて風も止めてくれます。この1着でかなりこなせますね。
このパンツはかなり気に入っていて、春から秋のシーズンも使っています。よくストレッチするソフトシェル素材で穿きやすいし、それなりに細身ですけど太もも周りの立体裁断がとても動きやすい。脚がよく上がりますね。メッシュ付きのサイドベンチレーションで温度調整しやすいし、風も止めてくれるし、ちょっとした雨ならこれだけで歩けちゃう。まあ、大雨だったら上にシェルを穿くんですけどね。また、裾はファスナーで開け閉めすることで裾幅の調整ができます。トレッキングシューズからトレランシューズまで対応幅が広いフィットなので便利です。
ベースレイヤーは長袖でもTシャツでも、僕はメリノウール派です。汗をかいても冷たさを感じないし、天然の抗菌効果で臭いも付きにくい。なので僕は1年中、もちろん夏でもメリノウールを着ます。ただし、夏山のような季節でも長袖は持っていきます。半袖ベースで行動していて、寒かったら上に長袖を重ね着したり、あとは山小屋やテントサイトに着いたら長袖に着替えるという使い分けですね。
Hiroyuki Kuraoka
@hiro_kuraoka
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-Photo by
Yosuke Kashiwakura
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-Text by
Chikara Terakura
@c.terakura