カナダ内陸の小さなスキータウンゴールデン。この町にあるキッキングホーススキー場の山頂には、今どき珍しい低速のリフトが架かっており、リフトを降りたピークからは誰もが立ち止まるほどの絶景が広がっている。急峻なクートニーの山々だ。なかにひと際目をひくピークがあり、三角形に尖ったそのトップからはチャレンジングな斜度がボトムまできれいにつながっている。
コアな滑り手なら誰もが頭のなかでシュプールを描く美しい斜面。僕もキッキングホースで滑るたびに、頭の中で自分のラインを刻んだが、深い谷で遮られて取り付くのが困難なこの斜面に、シュプールがついたのを見たことはなかった。
3月、程よい降雪の後に数日の晴れマークが並んだ。間違いなくシーズンベストデイになるこの日に、真っ先に頭に浮かんだのはあの斜面だった。
油断すると気づかず通り過ぎてしまいそうなゴールデンの小さなダウンタウンは、夕方5時にはほとんどのレストランが店を閉め、夜7時ともなれば街は静まり返る。日曜日なんて町のみんなは朝から教会や家族サービスで忙しく、並ぶ店は定休日だらけでもぬけのからだ。そんな光景は寂れた日本のシャッター街を彷彿とさせる。
スキーの撮影で初めてこの街を訪れた時、「山は最高だけど、さすがにここに住むことはないだろうな」と、心のどこかで思った町に、縁あって2019年に引越してきた。華やかなリゾート地ウィスラーで9年間を過ごした僕にとっては、なかなか楽しみで、少し不安な生活の始まりだった。
ウィスラーでの生活は刺激的だった。キラキラと艶やかな街には、多くのショップと名だたるのホテルが立ち並び、世界中から訪れる観光客やセレブは夜な夜なパーティで盛り上がっている。広大なスキー場には最新のリフトが高速運転で稼働し続け、レッドブルやモンスターのヘルメットを被ったライダー達が、世界トップレベルの滑りを繰り広げていた。
憧れの山で滑り込んでいると、カイ・ピーターソン、ショーン・ペティット、マーク・アブマら、当時第一線で活躍していたローカル達を見かけることも多かった。ローカルといっても、この地において「ローカルのトップ=世界のトップ」であり得る。それでも、驕りのない彼らはとてもウェルカムで、どこの誰かもわからない日本人が話しかけても、いつも気さくに対応してくれた。
そんな彼らを時に身近に感じることもあったけれど、それでも、やはり近くて遠い存在だった。9年間、彼らの背中を追い続けたが、ローカルの輪の中に入ることはできず、僕はウィスラーを後にした。
ガサゴソと体を動かすたびに、テントの内側に結露して凍った氷片や霜が振り払われ、寝袋から出ている顔にパラパラと降りかかった。「動きたくない」と訴える冷えた体を、なんとかごまかしてテントのジッパーを開ける。すると、スキー場から毎日見ていたあのピークが目と鼻の先で薄暗く照らされていた。その迫力に、頭がピリッと目を覚ました。
昨日はキッキングホーススキー場から深い谷を越えて、ピークの麓までテントを担ぎ上げた。滑る斜面に光が当たるのは午前中のみ。登るルートは確認済みだが、いかんせんなんの情報もないので、どれほど苦戦するかはわからない。
隣のテントで寝ているバディのケレブを起こすために、無駄にガッチャガチャと音を立てながら、急いで食事の準備を始める。3月とはいえ放射冷却でキンキンに冷えた空気は、マイナス20℃を下回っているようだ。身支度を整えて、冷えてカチカチのブーツに何とか足をねじ込むと、最後の儀式がまっている。防寒用の分厚いダウンを「えいやっ」と脱ぎ捨てて、僕とケレブは微かに日の当たっている登坂ルートに向けて足早に歩き始めた。
「Interior Cold Smoke (インテリア・コールド・スモーク)」。吹くと飛んでしまいそうな内陸の軽い雪を、ローカル達はプライドを込めてそう呼ぶ。「インテリア=内陸」という意味で、ウィスラーのある「コースト=海岸沿い」と対比して使われることが多い。「コースト側は雪がたくさん降るけど、湿っていてディープ。俺たちの方がいい雪を滑っているぜ!」と、ちょっとライバル視した感覚があって面白い。
実際に乾いた雪は滑ると最高に気持ち良いのだが、今はスキンからクランポンに履き替えて、ピークを目指し尾根を登る僕達には都合が悪い。水分が少なくて、くっつきの悪い雪は、蟻地獄のように足元がボロボロと崩れて全く前に進めない。ほんの10mの核心部。ここを抜ければ、ピークはすぐそこなのだが、もう30分以上この場所で右往左往している。
容赦なく動く太陽に焦りを感じながら、ボロボロの雪と岩に何とかしがみつき、核心部を抜けるとやっとの思いでピークにたどり着いた。ケレブとハイイファイブし、振り返ると、谷の反対側にキッキングホースのリフト降り場がわずかに見える。あの場所から毎日みていたピークに、僕は今立っているのだ。
ケレブが先にドロップした。ピークから少し離れた淡い光がきれいに当たった尾根の上を、雪煙を巻き上げながら滑り降りていく。雪は良さそうだ。
間もなく僕の番だが、滑るラインをまだ迷っていた。真ん中にあるジャンプを飛べるだろうか……。決して難しいジャンプではないけれど、これまで掛けた労力と時間を考えると、絶対にミスはできない。今回を逃せばこの斜面をもう一度滑れる保証は全くない。スノーモービルやヘリの撮影だったら迷いなく飛ぶだろうし、1本飛んで2本目はトリックにチャレンジ……なんてことも考えられる。でも自分の足で登るビックマウンテンの撮影は、自分の実力と斜面と対話しながら、いつも一本勝負だ。
「準備OK、いつでも良いよ!」とスタートのコールを受けると、僕は深く深呼吸して、斜面に滑り込んだ。
予想外に硬い雪に焦りそうになる気持ちを落ち着かせながら、ガリガリと最初の数ターンをこなし、ジャンプに向かっていく。思い切り踏み切るとふわっと体が宙に浮き、ひとときの無音が訪れる。
次の瞬間、インテリア・コールド・スモークは、僕の着地を優しく受け止めてくれた。
数日後、SNSであの日の写真をアップした。「あのラインはお前だったのか!」とローカル達がたくさんの反応を返してくれた。「ゴールデンに来てからずっと狙っていたんだよね」と返信すると、一人の根っからのローカルが書き込んでくれた。「オレなんか、生まれた時からずっと見てる斜面だぜ」と。
この街のスキーヤー達が見ていたあの名も無きピークにラインを刻めたこと、そしてウィスラーでは感じられなかったローカルスキーヤーの反応が素直に嬉しかった。
シーズンを通して自身のチャレンジを発信するショートムービープロジェクト「GOOD LINES」より、今回の挑戦と目標のピークからのライディングを収めた特別編。
植木 鹿一 (うえき・しかいち)
1985年、千葉県生まれ。刺激的な斜面を求めて世界中を飛び回るフリーライドスキーヤー。20代でカナダ・ウィスラーに移り住み、北米フリーライドカルチャーに触れながらスキーを磨く。カナダ各地やアラスカへ遠征歴多数。JAPAN FREERIDE OPEN創設メンバーにしてオーガナイザー兼実行委員長として、日本国内のフリーライドスキー普及に貢献している。2019年にウィスラーからカナダBC州内陸のゴールデンに移住。
-Text by Shikaichi Ueki
@shikaichiueki
-Photos by Tempei Tekeuchi
@tempeiphotography