すんごい久しぶりにカメラマンの尾崎さんとランチしました。
あまりよく知らない荻窪で待ち合わせして、やってるのかやってないのかローカルの人が案内してくれないと入れないであろう吉田カレーというお店に。おいしいお店なんだけど、ちょっと客を威圧する(?)ような張り紙が多数あり、若干緊張した感じで順番待ちしてました。久しぶりの尾崎さんとの会話もなんとなく小さめな声になっちゃうような雰囲気でしたけど、注文も丁寧に聞いてくれたし、料理はかなりおいしかったし、しゃべりながらのんびり食べてても嫌なオーラも感じず、いい時間を過ごせました。まぁ異常にエアコンが利いててやたら寒かったことを除けばカレー好きにはたまらない、また行きたいお店ですね。
尾崎さんからFBで連絡もらったのが数日前ですぐに飲みに行きましょう!ってなったのですが、諸事情によりなかなか夜出るのは大変なようでしたので、似合わないながらも8人ぐらいの短めの行列に列んでカレー食べながらバナナジュースを飲むという久しぶりの再会でした。
だいぶ昔からのお付き合いさせてもらってますが、ここ数年はホントにご無沙汰してました。その昔、かれこれ22年前の話ですが、1994年にいっしょに世界初の天山山脈ヘリスキー滑走っていう企画でカザフスタンに行ったんですよねぇ。あの頃のワタクシはモノスキーっていうのをやってまして、それを持ってハーネス付けてロープをもってヘリに乗って滑りました。たしかそのときの記事は、bravo skiさんに載ったはずです。
ロシア軍払い下げ(?)のでかい軍用ヘリに乗って、毎日ベースキャンプにしていた標高2000mぐらいだったかのキャンプ場からヘリで上がれる限界の5000mオーバーまで連れて行ってもらって、時にはランディングできないから飛び降りたり、道具が流れて落ちちゃったり、帰りのピックアップポイントがガスで見えなくなって氷河をさまよったり、1本のラインでパウダーからアイスバーンまでを味わいながら5人で滑り倒してきました。まだビーコンもゾンデもなかったし、スコップを持っていくなんて発想もなく、雪崩よりもクレバス対策しかしなかった滑りだったし、まぁメンバーのせいにしたら怒られちゃうけど、かなり適当な感じですごい楽しかったんですよねぇ。いまじゃあのノリでやったらみんなに引かれるだろうな…
尾崎さんの他にいっしょに行った企画者の倉岡さんは、その10年後から今日までのあいだに計7回(今日現在の日本人最高タイ記録)もエベレスト登頂する日本を代表する高地エクスペディションガイドになり、2013年には世界最高齢のエベレストサミッターになった三浦雄一郎さんの隊のガイドも務めたりと大活躍です。いまだにNORRØNAでサポートもさせてもらってます。
天山山脈ヘリスキーは人生初の雪崩にも遭遇し、みんなが初めて雪山の恐ろしさを知ることになった最初の山行でもあったんです。でもあのころの尾崎さんは数えてみるといまのワタクシよりも年齢が上なんですよねぇ。いまワタクシがあのころの尾崎さんと同じことができるのか?かなり疑問ですが、久しぶりに会ってもマイペースな尾崎さんを見てると「まだまだだな」と思われてるような気がして、もっともっとやる、という気持ちになれました。
昔からの友人の結婚式に、「一応正装です」ってことだったのにアロハに短パンだった尾崎さんがひと言「これハワイだと正装だから」とか、ワタクシがスイスのツェルマットに住んでガイドしてるころに訪ねてきてくれて、ワタクシのスタッフに「ところで君は何語しゃべれるの?」と尾崎さんに聞かれたスタッフが「スワヒリ語です。」と冗談で切り返したのを「コンニチハ(スワヒリ語で)」と切り返したのもなかなか忘れることのできないことです。とかって書いてるとまるで尾崎さんが調子悪いみたいに聞こえちゃうのでよくないですね。 写真の通りいたって元気そうでした。カレーは大盛りを平らげてたし。
次回は酒飲みに行けるといいなぁ。
わか
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