こんにちは、
もう2年も続いてる直営店とワタクシの日報という名のメールのやりとり。
なかにはこういう日報も届きます。
これはHAGLOFS STORE のコーヘーくんからです。
けっこう長文ですが、おヒマならどうぞ。
わか
これは、文芸春物2011年8月号に掲載されたこーへー氏のインタビュー記事です。
彼のガラクタ作品(おい!)にまつわるエピソードや、なぜペンを走らせるのかなど、ファンならずとも素通りする内容になっています。この記事では、普段素顔を見せないこーへー氏が、パンツ一枚で語っています(いっそ赤裸々にして!)。
「えっと、まず書くってことなんですけど、僕は単純にそれが好きなんですよ。最近気づいたんですけど、もしかして趣味の一つなんじゃないかと。もしこれが趣味だとしたら大変ありがたいことですよ。だって僕には趣味がないと思っていましたから。それにこんなにお金のかからない趣味はないですよ。ほとんどタダです。やったーって感じです。自分で考えたことを形にしてみるって楽しいですよ。たとえば前回の、頭の中の双子の兄妹の話ありますよね。あれなんかも、実はその数か月前に高校の時の子の結婚式があって、あれが全然面白くなかったんです。それを普通に日記として載せても、誰も浮かばれないですよね。それと同じ時期にシナプス君とニューロンちゃんっていう言葉だけが頭の中にあって、なんかこの二人が出てくる話作れないかなーって思ってたら、つまらなかった結婚式があって。それを組み合わせてみたんです。全く要素の異なるエピソードをつなげて、一つのストーリーを組み立てるって、難しいけど楽しい作業ですよ。僕がもっと頭がよかったら、もっと深い話にできるんでしょうけどね。
   
 あとは、テレビとかもあんまりおもしろくないときってありますよね。
えー!今日金曜日の夜だよ!っていうとき。地デジ化って言われても、画質が良くなるだけで結局内容は変わらないわけですよね。新しいテレビ買う気になれないですよ。それと最近のブルーレイレコーダーとかで、4番組同時録画とかあるじゃないですか。ひとっつも観たい番組ないのにすごい強気だなって思いますよ。前置き長いですけど、要は暇だから頭の体操をしてるんです。
 
 あとはね、書くっていうことが自分にとっての最大の表現方法なんじゃないかと。
少し話が飛びますけど、人って、それぞれ考えながら生きてるんですよね。
それが少し前まではわからなかった。周りの人がNO天気に見えたり、なんでこんなに浮かれてるんだろうって、人に対してすごく距離を感じてた時期があったんですね。でもそれはおそらく間違いで、みんなちゃんと考えてるんですよ。考えてる量とか深さがそれぞれ違うだけで。要は、それをあえて人に伝えるかどうかなんです。多くの人は、自分で思ったことを、自分の中で消化しているんだと思います。それをぼくはアン・キン・タンな人だと決めつけていたんですね。あるいは言葉とは全く違う方法で自分を表現できているんです。たとえば服装だったり趣味だったり。彼らの多くは、自分の考えを人に伝えるなんてことより、もっと大切で楽しいことがちゃんと発見できてるんじゃないでしょうか。悲しいことに、自分にはそれができないんです。だから、言葉を使って表現しようとしてしまうんです。
 
 書くことで満たされるというのも理由の一つです。
結局、人はどこまでいっても満たされないんですよね。一人では寂しいし、人といたら疲れるし。でもその満たされない気持ちっていうのが実は大切で、満たされないから人は追及し、文明を深化していくんじゃないですかね。煩悩を捨てることを解脱っていうらしいけど、解脱しちゃったら、やっぱり生きている面白みが半減しちゃいますよ。実際、僕が表現したくなるのも、結局は満たされていないからです。本当に幸せだったら、何も外に放出することなんてないですよね。それに、考える力も鈍くなる。寂しさと考える力は比例してるんだと思います。
 あとはやっぱり、読んでくれる人がいるっていうのが最大の活力になっているんだと思います。
書いているときの心境としては、離れている人たちのこともやっぱり考えますもん。とかいってこの文章自体誰の目にも触れない可能性ありますけど。というわけで、みなさん、いつもありがとう!!」